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いわゆる『短所』とは、才能に振り回されている状態?

From:佐藤 晋也
 
 
例えばですが、

『あなたの長所は何ですか?』

と質問したら、何と答えられるでしょうか?
 
また、それとは逆に、

『あなたの短所はどこですか?』

と質問したら、何と答えられるでしょうか?
 
 
一見、この両極端にありそうな両者ですが、私はこのどちらも『才能』だと思うのです。
 
もっと言うなら『その才能がネガティブに表出している時』、それは短所として認識されるのかな?と思っているのです。

才能は強烈だから、自分が弱いと振り回されてしまう

自分でその短所を認識できているかどうかは別にして、私は『短所というのは、才能に振り回されている状態』ではないかと思っています。
 
傘で雨を凌ぐ
 
あくまでイメージなのですが、持って生まれたものにしろ、経験から身に付けたものにしろ、才能というものは、そもそもとてつもないパワーを持っていると思っているんですね。
 
そしてその才能のパワーがあまりに強すぎて、自分自身がその才能を使いこなせるほどに熟達していない場合、才能に振り回されるということが起こっているんじゃないかと思うのです。
 
 
例えば多くの場合、ネガティブなイメージだと思うのですが、一例として『パワハラ』というものを上げてみましょう。
 
もちろん、そのパワハラを受ける立場の人にとってはたまったものではありませんね。
 
しかし、この『パワハラ』というのも、『それができる才能』が必要だとも思うのです。
 
認識できる日本語としておかしい表現かもしれませんが、実に上手に『パワハラができる人』が、この社会には多くいるのです。

パワハラできるも才能?

例えば『実に上手にパワハラができる人たち』は、まるで心理学や催眠言語などを学んできたかのように、実に上手に『相手を攻撃すること』ができます。
 
怒っている上司
 
まるで『どのようにすれば相手が苦しむか?』が手に取るように分かってて、それを徹底的に行うことができるかのように見えるのです。
 
これってできない人には全くできないことなんです。
 
 
一見、人間性の問題のように見えるパワハラをする人も、実は『強烈な才能に振り回されていて、自分では制御できていない状態』なのではないか?と私は思うのです。
 
そして当の本人は恐らく『自分がパワハラをしている』という自覚は、あまり無いのではないか?とも思うのです。
 
それどころか本気で『相手のために指導している』と思っている場合もあるのです。
 
その結果、周囲の人たちを攻撃しまくって、自分の人生がどんどん望まない方向に進んで行くという人たちを、私は少なからず見てきました。

自分が熟達していくと、才能を使いこなせるようになる

才能を『強力な武器』に例えると、その武器を使いこなすには、自分自身が『その武器を使いこなせる自分』になる必要があると思っています。
 
侍
 
武器の強さに負けている状態だと、どうしても振り回される機会が多くなります。
 
今回はたまたまパワハラというものを例に上げましたが、人の目が気になるとか、考えすぎてしまうとか、予期不安が強いとか、一見ネガティブに見えるこれらも、私は才能だと思うのです。
 
そしてその才能を使いこなせず、振り回されている時、それが短所となって、時に自分を苦しめたり、自分の人生を望まない方向に進めたりするのではないかと思うのです。
 
よくよく考えてみると、その才能のお陰で、人生の中で上手くいった場面もたくさんあるはずです。
 
その瞬間は、おそらく才能を使いこなせていたのだと思います。
 
もちろん短所を改善するという考え方も重要でしょう。しかしその短所を才能と捉え、『それを上手に使いこなせるような自分になる』という考え方も、自分の人生を考える上で役に立つ考え方ではないかと思うのです。
 
あなたにしか、できないことがある。
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