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近代における教育と、人生脚本

 

From:葉山倖成

 

 

最近の小学校では

《 知らない人に挨拶をしないように 》

指導しているところもあるようです。

 

マンション内で挨拶が禁止になった地域もあるそうです。

 

 

知らない人=不審者
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という図式が成り立っていることを物語っていますね。

 

 

今僕が近所の子供たちに

 

「おはよう!!!」

と、声をかけたら

 

きっと逃げられるのかもしれませんね。

 

なんだか寂しい時代のような気もします。

 

 

もちろん、子供を犯罪から守るために

このようなことになっているのは分かるのですが

果たして挨拶をしないことが本当に防犯になるのだろうか?

 

 

知らない人=不審者

 

と教わった子供たちは、

これからどんなコミュニケーションを取っていくのだろう。

 

 

何をもって、この人は信用できる

この人は信用できないという判断基準を持つのだろう。

 

 

僕の中でこのような疑問が浮かんでしまいます。

 

 

子供のうちはまだ判断ができないから…

という考え方もできるかもしれませんが

もし理由がそれであれば、些か浅はかだなとも思うのです。

 

 

 

というのも、僕は今の仕事を始めてから

幼少期の出来事がどれだけ人生に影響を与えているのか?

ということをまざまざと見せつけられています。

 

 

両親の期待に応えなければならないと思い込んでいたり

父親の影響で男性不信になっていたり

母親からの愛情不足を女性で埋めてしまったり

 

自分は愛されない存在だと思い込んでいたり

100点を取らなければならないと思い込んでいたり

1番にならなければいけないと思い込んでいたり

いい子でいなければいけないと思い込んでいたり…

 

 

様々ありますが

少なくとも僕たちは幼い頃の影響を

今時点でも無意識レベルで大きな影響を受けています。

 

 

これを《 パラダイム 》とも言うのですが

そのパラダイムがあるために

 

物事を正しく見れなくなってしまったり

自分が本来望む選択ができなくなってしまうという

弊害をもたらしていることがあります。

 

 

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エリック・バーンが提唱した

《 人生脚本 》

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カナダ出身で精神科医であり心理学者でもある

エリック・バーンが提唱した《 人生脚本 》によると

「幼いころ、人は無意識のうちに自分の未来の生き方の脚本を書く」

人の一生は誰でもこの人生脚本によって支配されていると言われているのです。

 

 

しかも、7歳までにその脚本は仕上がってしまう。
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とも言われています。

 

 

その影響のほとんどが《 両親によるもの 》なんですね。

 

 

その脚本を書き換えていくには

事実を見ていくことが必要なのですが

今回はその話は割愛させていただきますね。

 

 

 

このように、僕たちは幼少期に

両親の影響を受け、自分の人生を脚本しているのです。

 

 

これは、いい影響も悪い影響もです。

 

 

このいいとか悪いというのは

一般的なことももちろん含みますが

自分の望む人生に対して

効果的に働いているものと、そうではないもの

という意味です。

 

 

例えば、

「お金持ちになりたい!!」とどれだけ思っていたとしても

お金=悪いものというイメージを幼少期の頃に抱いたとしたなら

収入を上げることに関して罪悪感を抱くことにつながります。

 

 

また、愛する人と一生幸せに過ごしたい

と思っていたとしても

愛されること=我慢して自分を出さないというイメージをもっていたとしたら

ずっと我慢しながら過ごさなければならなくなるでしょう。

 

 

このように、幼少期の頃に根付いたイメージや思い込みが

今後の人生に大きな影響を与えていきます。

 

 

この観点から考えてみると

 

知らない人=不審者

 

というイメージをもった子供たちが

今後の人生をどのように歩んでいくのかを考えると

子供だからといって、ここまで極端な教育をする必要があるのか?

とも思うのです。

 

 

親の立場からすると心配事はなるだけ無くしたくなる気持ちもあるでしょう。

 

 

特に共働きで子育てをされている家庭からすると

目の届かないところで子供を守る方法にも限りがあると思いますし

自分の身は自分で守るということを教えられることかもしれません。

 

 

子供が犯罪に巻き込まれるニュースなどを見ると

他人事ではなくなることも分かります。

「ウチの子が…」想像するだけでゾッとするような事件があることも事実です。

 

 

ですが、人は人と関わり合うことによって

己を知り、相手を理解し、人生を実現させていくものだと

僕は思います。

 

 

コミュニケーションなくして

人生を彩ることは不可能に近いとさえ思っています。

 

 

コミュニケーション能力を上げることが

豊かな人生への第一歩だと僕は思うのです。

 

 

社会の中で生きていくためには

社会を構成している人間を理解する必要があります。

 

その社会を構成しているほとんどは知らない人です。

 

 

このままだと、もしかしたら

人を理解することを避けた大人たちが増えていくかもしれません。

 

 

それでも、社会は成り立っていくのでしょうが

僕はどこか寂しさを感じてしまいます。

 

 

果たして、人の在り方とはそれでいいのだろうか?

 

 

このままで本当にこの国は豊かになっていくのだろうか?

 

 

物質的には豊かな国であったとしても

心が豊かな国にならなければ

この国の発展はないと思うのです。

 

 

人の痛みを知り、悲しみを知るからこそ

心から人に優しくなれるのだと思うのです。

愛が育まれるのだと思うのです。

 

 

持ちつ持たれつ

 

 

東日本大震災の時に海外メディアが

暴動を起こしていない日本人に対して賞賛の声が上がりました。

 

「日本人の心は美しい」と。

 

まだ無くなってはいないこの日本人の心

 

《 和を以て貴しとなす 》

 

聖徳太子が掲げた十七条憲法第一条に出てくる言葉。

 

 

この精神がなくならないためにも

きっと僕はこの仕事をしているのだなと

改めて感じています。

 

 

今回のブログはつぶやきのような内容になってしまいましたが

僕の中での大きなテーマなんです。

 

 

《 人と人が深く関わり合う社会創り 》

 

 

どうすればそれが実現できるのか?

簡単なことではないからこそ

とにかく自分を高めていこうと思えるのです。

 

 

もし、将来

人に興味がない大人たちが増えたとしても

人の素晴らしさを伝えられる大人で在り続けたい。

 

 

心から、そう思っています。

 

 

では、また。

 

 

人生に、こだわれ!
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