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知らず知らずに『頑張って最低を追い求める人生』

From:佐藤 晋也
 
 
先日、たまたま付けていたテレビで
転職先を探している男性のインタビューが流れていました。
 
その中でその男性は、こう言っていたのです。

『最低、◯◯円くらいは給料が欲しいですね』

と。
 
 

給料

 

これだけ聞くと、普通の事のように感じますね。
でも私は、ある出来事を思い出したのです。
 
その出来事とは、約一年ほど前の出来事です。
 
 
私はある男性に、こう訪ねていました。

どれくらいの成果が欲しいですか?』

と。
 
するとその男性はこう答えました。

最低、これくらいは欲しいです!

と。
 
ちょうど先程のテレビと同じ流れですね。
 
 

こういう受け答えって、
別に珍しくもなんともない一コマだと思うんです。
 
でもその時、私はこう思ったんです。
 
この人はいつから最低を目指す人生になったのだろう?

って…。

知らず知らずのうちに最低を目指している怖さ

原理原則として、

人は最高でも『自分が目指すところ』までしか行けません。
 
つまり

『最低これくらい』

と最低を目指している時点で、
最高でも最低までしか届かないのです。
 
 
そして最高でも最低までしか届かないので、
多くの場合、その最低よりも低いところまでしか届きません。
 
このようなことを
私たちは知らず知らずのうちにやっていると思うのです。
 
 

最低 最高

 

これって結構、怖いことだと思いませんか?
 

もちろん当の本人はそんな事思っていませんが、
でも実際にやってる人も、少なくないと思うのです。

その選択が、人生そのものを創る?

なぜ、最初から最低を目指すのか?
それには様々な理由があるでしょう。
 
もしかすると、
チャレンジすることに臆しているのかもしれません。
 
もしかすると、
頑張っても報われなかった時のために、
先回りして保険を掛けているのかもしれません。
 
他にもその人なりの理由があるのでしょう。

 
 
それが何かは分かりません。
しかし間違いなく言えることは、

『その選択が、自分の人生を創っている』

ということでしょう。
 
それは間違いないように思うのです。
 
 

そしてこうも思うのですが、

その最低を目指しているからと言って、楽だとは思えない

のです。
 
恐らく最高を目指しても、最低を目指しても、
被る苦労はそんなに変わらないような気がするのです。
 
 

2つの選択肢がある場合、
どちらを選んでも同じだけ良いことがあるし、同じだけ大変なことがある。
 
そういう人もいます。
 
 
実際は両方を選択することはできませんから、
比べようがないのですが、
ある面ではそれも真理ではないかなと思うのです。

 

さて、最高を目指しても、最低を目指しても、
同じだけの大変な面があったとしたら、
果たしてあなたはどちらを選ぶでしょうか?
 
 
こんなことを考えてみると、
自分の選択に変化が起こるかもしれませんね。
 

そしてその選択の変化は、
人生そのものを変える可能性が十分にあるはずです。
 
 
常に

『日々の選択が自分の人生を創っている』

という認識を持ちたいものですね。
 
 

あなたにしか、できないことがある。
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