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つまようじボーガン事件から紐解く争いの本質とは

 

From:葉山倖成

 

 

また痛ましい事件が起きた。

 

 

某所焼肉店にて

社長、その奥さん、店長と3人がかりで

従業員へ暴行を加え逮捕された。

 

 

その従業員を角材で殴るだけにとどまらず

つまようじボーガン(中国で販売されたオモチャ)

※現在は危険性があるため販売禁止、及び

この玩具を使用して相手を怪我させた場合、傷害事件となります。

で顔面に数十本のつまようじを刺し、スマホで撮影するという

とんでもない事件。

 

 

暴行の理由は《 勤務態度が悪いから 》だそうだ。

勤務態度が悪いからと言って

角材で殴り、つまようじを刺していい理由なんて

どこをどう探してもあるわけがない。

 

 

例え、同じ失敗を何度繰り返していたとしてもだ。

 

 

だが、そんなことは加害者である彼らも

少なからず《 頭では 》分かっていたことだろう。

これはあくまでも推測だが

《 悪いことをしている 》という認識もあったかもしれない。

 

いや、途中からは《 やって当たり前だ 》

思っていたのかもしれない。

 

 

では、なぜ犯行に及んでしまうのか?

何が犯行を引き起こしてしまうのか?

 

 

 

頭では分かっているけど、ついつい…

 

 

そんなことは誰もが多かれ少なかれ

大きかろうと小さかろうと

これまでの人生で1度は経験したことだと思う。

 

 

もちろん、僕にも経験がある。

それは数え切れないほどあるだろう。

 

 

ついつい…

 

 

その中でも、人と争ってしまうというのは

いつどんな場所でも起こることだ。

 

 

学校

職場

地域

コミュニティ

家庭

地位

国家

宗教

人種

性別…

 

 

あらゆる分野において、争いというのは

これまでの歴史を紐解いてみても

絶え間なく続いている。

 

 

人類の歴史は争いの歴史

と言ってもいいだろう。

 

 

それほど、人類は争いを繰り返して生きている。

 

 

ここで、勘違いして欲しくないは

僕は争いを無くしたいというような

大それたことを思っているわけでもなければ

争いはよくないことだと言いたいわけでもない。

 

 

争いがあるからこそ

その恩恵を受けているのも事実としてある。

 

医療の発展、テクノロジーの発展

利便性、多様性、コスト削減、資源削減

など、この争いがプラスに働いている側面があることも事実。

 

 

ただ、これらのことは争いではなく競うことであると

あえてここでは定義させていただこう。

 

 

実際に言葉の意味を調べてみると

争う、競うには共通した意味もあるが

争うという言葉には【 抵抗する 】という意味もある。

これは競うという言葉にはないことだ。

 

 

僕はそれを見て

「確かにその違いがあるかもしれない」と感じたのだ。

 

 

競うというのは

互いが互いを高めあい

相手より、より良くなろうという思いから来るものであるとしたら

 

争うというのは

互いが互いを受け入れず

相手が良いことを善しとせず、

自分が正しいことを善しとする思いから来るもの。

 

 

そんなイメージと合致したからだ。

 

 

では、話を戻そう

 

 

そもそも、なぜ人は争ってしまうのだろう。

 

 

そもそも、何と争っているのだろう。

 

 

そんな疑問が、この事件を通して

僕の中に浮かんで来た。

 

 

人と争っているように見えるが

実際には人と争っているわけではないと

僕は思う。

 

 

 

僕の中で、1つの仮説が浮かんできた。

 

《 自分の心に勝てない人が争いを引き起こす 》
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

 

 

争いというのは《 抵抗する 》という意味も含まれる

と、先ほど申し上げたように

何かに対しての《 抵抗する力・心 》が働いているからこそ

争いに発展していくのだろう。

 

 

この時点で、相手を善しとしていないわけである。

競うというのは前提として

相手を善しと受け入れている。

 

 

この違いは天と地ほどの差がある。

 

 

競っていたつもりがいつの間にか

争いに変わっていた。

 

 

そんなこともあるだろう。

 

 

その分別すらつかなくなってしまうのが

人の心というものだ。

 

 

自分が負けると思った瞬間に

競うことをやめ争うことへとシフトしていくのだ。

 

 

互いに勝つ、という意識から

相手を負かすという意識へとシフトする

と言い換えてもいいだろう。

 

 

さらに言うと、争い始めた瞬間に

自分自身に負けたことと同じなのだ。

 

 

批判、誹謗中傷、悪口、陰口…

 

 

言いたくなることもある。

それも痛いほど分かる。

だけど、これらのものにはなんの生産性も感じられない。

何かを生み出すエネルギーを感じられない。

 

 

つまり、争いとは何も生まず

一人の勝者すら生まれなず

お互いが苦い砂を噛むことになる。

 

 

簡単に言うと、誰一人として

いい気持ちがしないということだ。

 

 

そして、それらを口にする人と、しない人がいる。

それが自分の心に勝てたのかどうかだと

僕は感じるのです。

 

 

これらは《 自分が正しい 》という思いから

それはおかしい、あの人はこうだからと

ついつい口にしてしまうのだろう。

 

 

その真意は、相手がどうではなく

自分が思っていることや感じていることの正当性を

証明したいだけなのである。

 

 

そして、自分と同じ思いを持った人間を集い徒党を組み実行する。

競うために集まった人たちは仲間や同志やチームと呼ばれ

争いのために集まった人たちは《 徒党 》と呼ばれる。

本人たちはそうとは思っていないであろうが…

 

 

こう書きながら、僕自身

何かと争おうとしているのかもしれない。

こう書きながら、僕が思っていることは正しいということを

証明しているのかもしれない。

 

 

いや、事実そうなんだと思う。

 

 

人とはそのような生き物なんだろう。

それを知ることが大切なことなんだと。

 

 

だからこそ、この世から争いを無くそうなんて

大それたことを伝えたいわけでも

それが悪いことだとも言いたいのではない。

 

 

ただ、僕はこう思う。

 

 

世の中から争いを消すことはできないが

自分自身に生まれた争いは自分の心で消すよう努める。

 

 

相手の話に心から耳を傾けたとしても

根底には《 自分が正しい 》と思ってしまうものが

人の本質なのだとしたら

言い換えると、それは相手も正しいということなのだから

自分の意見と違うものであろうと

自分が期待するものではなかったとしても

受け入れる心を持たなければならない。

 

 

その心を養うことが何よりも大切なことなのだと

僕は思うのです。

 

 

では、また。

 

 

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